【佐古忠彦監督 舞台挨拶】
映画「太陽(ティダ)の運命」
- 開催日
- 2026年04月19日(日)
- 開場・開演時間
- TBA
- 会場
- 桜坂劇場 ホールB
- 出演
ゲスト:佐古忠彦監督
- 料金
- ※当日「太陽(ティダ)の運命」をご覧になったお客様、みなさまご参加いただけます。
- お問い合わせ
- 桜坂劇場 098-860-9555
2025年3月22日に桜坂劇場で公開された「太陽(ティダ)の運命」のロードショーもいよいよ4月23日(木)までとなりました。
この約1年1ヶ月の間、何度も舞台挨拶やイベントに通っていただいた佐古忠彦監督の 舞台挨拶を行います。
公式サイト
https://tida-unmei.com/
佐古忠彦監督からのメッセージ(公式サイトより転載)
沖縄に通い始めて四半世紀以上になる。その時間は、取材でお世話になった方々との出会いはもちろん、ともに取材し、情報を交換し、議論する時間を共有してきた沖縄の仲間たちの存在なくしては、決して成り立たない。2022年、復帰50年の年の夏のことだった。そんな仲間たちと、次回作の構想についての話になったとき、私はこう言った。
“沖縄の民意を示す「沖縄県知事」が国との対応に苦悩する姿を描くことで日本の問題を浮き彫りにできないか―”。
それは、「米軍(アメリカ)が最も恐れた男」で、カメジローこと瀬長亀次郎を通して描いた戦後史、次に、その原点を伝えたいと、時代を遡り「生きろ」で描いた沖縄戦から地続きの歴史の上にある、いわば現代史だ。では、現代史を紡ぐうえで、なぜ「沖縄県知事」なのか。過酷な地上戦のあと沖縄にやってきたのは、平和ではなく、27年に及ぶ軍事占領だった。復帰後は、沖縄の米軍統治と引き換えに復興の道をひた走った本土との差をいかに縮め、本来の沖縄の姿を取り戻すか、その道筋はいかにあるべきか、その課題の中で、常に「保守か革新か」「基地か経済か」の選択を迫られてきた沖縄の象徴が県知事である。その存在そのものが、そのまま戦中、戦後から苦難の道を歩み続ける沖縄の現代史を体現していると考えるからだ。
共感してくれた仲間たちとの議論は、映画の「共同制作」に発展した。系列局がタッグを組んで構想段階からともに議論を重ねながらドキュメンタリー映画を創っていくのは、初めてのこと。制作は、この30年間、両局の先輩、仲間たち、そして私自身が取材してきた映像の一つ一つに向き合うことから始まった。そして、日々のニュースとして伝えてきた、その一つ一つの点を、30年という時の流れの線につなげてみると、そこには、なぜ今があるのか、の答えがあった。
右とか左とか、保守とか革新とか、本土と同じような単純な対立の図式で割り切れないのが、沖縄だ。保守の知事が政府と対峙し、革新の知事も政府と協調した歴史がそれを物語っている。そして、そこに見えるのは、行政官としての立場と、民意を背負った政治家としての立場のはざまで苦悩する姿である。稲嶺元知事はよくこう話してくれた。「毎晩泡盛の力を借りないと眠れなかった。知事を辞めた途端、酒は一滴も飲む必要がなくなった」。重圧を背負いながら、国と、アメリカと、県民と、そして自分自身と向き合い続けるのが沖縄県知事なのだ。47都道府県のリーダーの中で最も特異な存在といえる。
その8代の知事の中でスポットを当てるのは、第4代知事の大田昌秀と第7代知事の翁長雄志。この国と沖縄をめぐる現代史は、ほとんどこの30年の辺野古の歴史と言っていいが、そこに深く関わっているのが、大田と翁長だ。二人は、人間として、知事として、何を目指し、何と闘い、何に苦悩し、何に挫折し、そして、何を成したのか。沖縄戦という原点を同じくしながら、政治的立場の違いからの相剋。しかし、その果てにあったものは何だったのか。そこにこそ「沖縄」があり、それは、この国のありようをあぶりだす。かつて、番組で10年の時を共にしたジャーナリスト・筑紫哲也さんは「沖縄に行けば、日本がよく見える」と言っていた。「沖縄県知事」に、私たちの国のどんな姿が見えるだろうか。