『フローズン・リバー』田舎暮らしの閉塞感とオサラバするために

ロック・ミュージシャンの佐野元春さんがニューヨークで書いた古い詩に“バッファローから来たモーホーク男…”という一節があった。
『FROZEN RIVER(フローズンリバー)』をみて、一番最初に反応したのは、その“モーホーク”という言葉。アメリカ先住民であるモーホーク族。ニューヨーク州最北部、アメリカとカナダの国境近くにその保留地が設けられている。物語の舞台でもある保留地には、警察の権限が及ばず、いわゆる自治区になっている。




主人公は中年女性のレイ。保留地に隣接する田舎町で2人の息子とボロボロのトレーラーハウス暮らし。その最底辺の暮らしぶりから明日の光を見いだすのは難しい…。
(下に続きます)


彼女は、モーホーク族の女性の母親ライラと出会ったのをきっかけに、不法入国者たちのアメリカへの密入国を手引きする仕事へと手を染めていく。明日のために、やむなく手を出した違法行為で、レイの懐にも少なからずお金が入ってくるようになる。しかし、歯止めのきかなくなった彼女に待ち受けるのは…。




田舎暮らしのどうにもならない閉塞感やもどかしさ、都会への憧れというのは、アメリカ映画の背景の一つとして重要な要素をしめる。少し前だと「ギルバートグレイプ」。最近だと「レスラー」や「あの日、欲望の大地で」。「サンシャイン・クリーニング」もそうだったっけ…。
アメリカで車を走らせていて感じるのは、都会以外は、恐ろしく何もないということ。本当にあの大陸の大半はど田舎なのだ。しかし、ハイウエイを降りて、ガソリンを給油する名も知らぬ田舎町にも人々の営みは確実にある。多くの人は、そこで日々を平凡にやりすごして一生を終えるのかもしれない。あるいは、夢を抱いて、都会行きのグレイハウンドに乗るのかもしれない。
そうした、田舎町の暮らしに潜む物語は、都会を舞台にした物語よりも力強く魅力的に感じられる。舞台装置がシンプルな分、人を描くことにより力点がおかれるからなのだと思う。『FROZEN RIVER』も、しっかりと人が描かれた作品だ。ハッピーエンドっぽいのに、よく考えると実はそうでもなさそうという、少し苦い後味も悪くない。



佐野元春さんが、詩で読んだ“モーホーク男”も、故郷のバッファローをあとにニューヨークに出て来た。映画の中にいた何人かの“モーホーク男”、そのうちの誰かは、佐野さんがニューヨークで出会い、夢破れて保留地に帰った“モーホーク男”なのかもしれない。
フローズンリバー公式サイト
桜坂劇場公式サイト
ps
シングルマザーが、イリーガルな仕事でお金を稼いで、豊かな暮らしを求める映画といえば、ケン・ローチ監督の『この自由な世界で』も、かなり近いですね。ケン・ローチの作品が好きな方にもオススメです。

2010.5.10野田隆司

コメント

  1. 同じく上映中の「バグダッド・カフェhttp://www.sakura-zaka.com/movie/1005/100501_bagdat.html」もアメリカの田舎のお話ですね。彼らの陽気さがステキなのも、あの閉塞感あってこそですね!

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